増えるワカメのはなし

みなさんはじめまして。私の好物は増えるワカメです。増えるワカメこと乾燥インスタントワカメの素晴らしい所はなんと言っても味噌汁に入れるだけで手軽にワカメが大量摂取出来ることかと思います。低カロリーで食物繊維たっぷり。すばらしい。

 

なんて誰もが知っているような事をブログにする気はありません。大体、私の主食がワカメだった時代はそんな低カロリーだとか簡単に摂取できるだとか全く気にせず大量摂取していました。みなさん知っていますか?スープにインスタントワカメを死ぬほど入れるとスープの色が緑色になるんですよ。初めて見た時にはげらげら笑いました。なんで透明なスープが緑色になってんねん。かき分けてもかき分けても果てが見えぬワカメを全て胃に収めた後に緑色の汁(ワカメくさい)(あたりまえ体操)と戦っていたときの虚無。世界には私の知らないことがまだまだ有るのだなと知ったあの時。

 

自分でも、後々なんでこうしたの?と聞かれてうまく答えられない事があって、先述したあほみたいにインスタントワカメぶち込み事件もそうなんですけど、衝動とノリとリズムで生きてるんですね。うお座かな?残念ですがうお座です。ただ、後々思い返してみると案外一貫性というか、自分の中の物語としての筋道はたっていたりして、逆に終わった後考えた自分が「あ、そういう事したくてやってたんだ!?」みたいにその物語を紐解いて驚いたりする。
ようは突拍子も無い事が好きなんだと思います。私は。
しいたけさんが占いで、うお座はわくわくしないと死んじゃうから・・・みたいな事をおっしゃっていたと思うんですけど、感覚としてはそれに近くて、ようは理論付けしてああだこうだと考えて行動すると、先が分かっちゃうし面白くないから、ちょっとだけくだらないことでも、"それ、絶対ヘン!"みたいなことで現実というどうしようもなく社会的正しさしかない空間と、はみだしたい自分のこころとのバランスを取っているんだと思います。ニンゲンって面白いですね。


世の中に自分を押し込めてずっといると、昔自分が大切にしていたものにすら、感動できなくなったりして、私はそれが昔の自分に対する裏切りのように感じてきました。太陽の光にかがやく木立の葉っぱの色とか、そういうのを捨てられるようになってしまったら、自分が自分じゃなくなる気がして。なので、そういう部分を取りこぼさずに、捨てずに済むように、折り合いをつけながらも自分のやりたいように好き勝手する、というバランス感覚はきっと私にとっては不可欠なのだと思います。これから先もずっと。


だからといって人様が綱渡りをしているとおいおい大丈夫か?!ってつい手を出してしまいそうになるんですけどね。

それって本当に正しいことなのではないんだろうなあ。綱渡りは自由で、孤独で、救われてなくちゃいけないんだと思います。多分。